Photo: Takanori Ota, 太陽光生活研究所
豪雪地帯での太陽光発電に挑戦する、長野県野沢温泉村の「コンパスハウス」。オーナーの上野雄大さんをはじめ、スタッフの皆さんが大切に守っていきたいと願うのが、村の“環境”です。その根底にある自然、風土、文化について、2回にわたり特集しています。
前回ご紹介した、村独特の「温泉」文化に続き、今回は、やはりこの村で古くから行われてきた伝統行事「道祖神(どうそじん)祭り」を取り上げてみます。
野沢温泉村にはいくつかの伝統的な祭事がありますが、中でも一番大がかりなものが、毎年1月13日から15日まで、3日間をかけて行われる「道祖神祭り」です。道祖神とは、災厄を防ぎ、子宝や子どもたちの成長を願う民間信仰の神として、全国的に奉られているもの。野沢温泉村では、男女一対の「木造道祖神」が村内の各所をはじめ、各家庭でも奉られており、お祭りの期間中には村人総出で壮大な伝統行事が執り行われます。江戸時代にはすでに行われていたといわれるほど歴史のあるこのお祭りは、1993年には日本を代表する祭事のひとつとして、国の重要無形民俗文化財にも指定されました。
「道祖神祭り」の運営は、温泉の管理と同様に、地元の住民自治組織「野沢組」によって行われます。その采配のもと、このお祭りで中心的役割を担うのは、数えで42歳を頂点に41歳、40歳となる男性「三夜講」と25歳の厄年の男性です。
初日、前年秋に伐採された御神木2本を、森から村まで「里引き」します。途中、沿道の家からは御神酒が献納され、それが周りにも振る舞われるため歩みはなかなか進まず、3時間以上かかる大行列となります。
中日には、この御神木を使って高さ7m、上部は40畳ほどの広さがある、巨大な社殿が設営されます。この作業の間だけは、安全のため御神酒も御法度。1日かけて、昔ながらの方法で見事な社が造られます。
最終日の1月15日夜7時、まず「火元もらい」が行われます。伝統にのっとって火打ち石で点火されたたいまつの火が、道祖神の歌と共にお祭り会場へと運びこまれます。
そして、いよいよ迎えるお祭りのクライマックス。それは、火付け役(村人)と火消し役(25歳の厄年)が、社殿を巡って激しい攻防戦を繰り広げるというもの。
火消し役は、社殿の前を守り固めながら、「火ィ、もってこーい!」と村人を挑発。そこに、燃えさかるたいまつを片手に、火付け役たちが突っ込んでいきます。火消し役は、これを全身で阻止。松の枝を手に、攻め込んでくる火を次々とたたき消していきます。一方、社殿の上には、42歳厄年の面々が陣取り、道祖神の歌を歌い続けます。
いずれも体をはった真剣勝負。火傷も物ともせずに双方譲らず、炎の打ち合いは夜10時過ぎまで続きます。
最後には、双方の手締めが行われ、正式に社殿への点火が行われます。周りには子どもが誕生した一家が奉納する巨大な「初灯籠」も置かれており、社殿と共にこの灯籠も天高く燃え上がります。
日本三大火祭りの筆頭にもあげられる、この「道祖神祭り」。とくに1月15日の最終日は、多くの観光客も訪れ、会場は人であふれかえります。集まった人々も、攻防戦のすさまじい迫力と、巨大な炎の熱に圧倒され、言葉を失うような感銘を受けます。近年では海外からこのお祭りを目的に訪れる人の姿も多くなっています。
野沢温泉村で暮らす人々にとって、「道祖神祭り」はもちろん、1年でももっとも重要な行事のひとつです。とくに「三夜講」など役割がある場合は、お祭りの当日以外にも何かとすべきことがあり、時には家族や仕事に影響がでることもあるのだとか。今年5月に42歳となった上野さんも、「三夜講」として4年前から様々な役割を引き受けて奮闘してきました。
「結構大変なんですけれど、僕にとってはやらないという選択肢は無かったですね。この村で育つ中、物心ついたときからお祭りがあって、子ども心にも興奮して見ていました。そして42歳になったら、自分もその歯車のひとつになるのだと、当たり前のように思っていた。どんなに大変でも、私生活を犠牲にしてもその年は地域のために頑張ろうと」。
もちろん全員が同じように思っているわけではないともいいます。また、参加が強制されているわけでもありません。
「全員が僕みたいに祭り好きというわけでなく、中にはあまり積極的ではない人もいます。けれど、みんな少なくとも“地域のために任されたことはやる”という意識は持っていると思います。この村で育った人間のプライドみたいなものでしょうか。そして面白いのは、祭りが終わった後にはほぼ全員が、“ああ、やって良かった”と感動してしまう。これが毎年繰り返されているんです」。
大学などで地元を離れていても、「道祖神祭り」の際には帰省して参加するという若者は多いそう。それくらい村民にとっては欠くべかざるもの、暮らしの一部のような行事なのでしょう。
長年、この村で繰り返されてきた伝統的なお祭り。それは、郷土を愛する人々によって、今へと引き継がれています。こうした文化、そして村の人々の心意気も、この地の素晴らしい環境のひとつといえそうです。
ちなみに上野さんの家でも、このお祭りの後には、3歳の息子さんが祭り囃子のフレーズを口ずさむようになったのだとか。村のDNAはすでにしっかりと受け継がれているようです。
スキー、そしてサイクリングでも盛り上がる野沢温泉村
豪雪地帯の野沢温泉村は、古くからスキー場として人気を博してきました。スキー場の開設は大正12年(1923年)と、ちょうど100年前。現在では、毛無山の斜面にいくつものダイナミックなコースやスノーパークなどが整備されています。「コンパスハウス」では、村内に3カ所の拠点を置き、スキー、スノーボードのレンタルをはじめ、周辺でのバックカントリー・ガイドツアーなどを行っています。
また、近年では、夏、Eバイクを含めた自転車のレンタルやツアーにも力を入れています。
「1年を通じて仕事があり、活気ある村にしていきたい。そのために、冬に来た人に夏にも来てもらえるような取り組みをしています。夏は緑も美しいし、のんびりと気持ちよく過ごしてもらえる。自転車だけでなくハイキングなどもでき、遊びの幅は広がります」。
実際、野沢温泉村周辺では自転車人気が高まっており、秋口には大勢が参加する「野沢温泉自転車祭」なども行われています。(2023年は9月30日~10月1日に開催予定)。「コンパスハウス」ではこのイベントにも積極的に協力。また、長野県と新潟県の自然地帯に関する観光促進組織「信越自然郷」のワーキンググループにも参加し、飯山駅にあるサイクルステーションでの自転車提供や整備も行っています。さらに、野沢温泉から金沢方面までつながるような、新たなサイクリングルートの開発なども行っているのだとか。
「この地の美しい自然の中で、スキーやサイクリングなど、四季を通じてスポーツを楽しみ、併せて温泉やお祭りなど、この土地特有の文化にもたっぷり触れていただきたい。そして、それが地元のビジネスとしても還元されていくようになれば、と期待しています。雪や森は野沢温泉村の貴重な“資源”。この環境を多くの人と共有しながら大切に守っていきたい、それを目指しています」。
上野さんはこの4月、POW JAPAN(Protect Our Winters Japan)が主催するトークセッション「滑り手に聞く! 地方行政とまちづくり」に登壇。雪や自然を守りたい、地域をより良くしていきたいという思いを、他のパネラーと共に語っています。イベントの様子はPOW JAPANのレポートページで見ることができます。
コンパスパウス COMPASS HOUSE とは
長野県野沢温泉村、株式会社ドリームシップが経営するスキー、スノーボード、サイクリング関連のプロショップ。2010年オープン。スノースポーツやマウンテンサイクリングのギア販売からレンタル、チューニング、さらにはガイドツアーや選手の指導・育成などを実施。野沢温泉スキー場の長坂エリアにある「マウントドック Mt’ Dock」、温泉街にある「コンパスビレッジ COMPASS village」も同社営業の系列ショップ。代表者は元フリースタイルスキーヤーとしてワールドカップなどでも活躍した上野雄大さん。3児の父親であり、野沢温泉村スキークラブの副会長、野沢温泉村観光協会理事も務める。また2021年には野沢温泉村の村議会議員となり、同村の経済産業副委員長としても活動中。 https://compasshouse.jp/Vol.6 太陽光発電システム設置1年の振り返り
Vol.3 活気ある冬を迎えて、「太陽光」の効果を実感!